源千歳丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:40 UTC 版)
詳細は「源義経#系譜」を参照 中村朝定には源義経の遺児であるとの伝承がある。 青森県弘前市新寺町の圓明寺(円明寺)の縁起には「千歳丸のちの経若丸は義経の子であり、千歳丸を常陸坊海尊に託し、常陸介念西に預け後に養子にした」との伝承や、真岡市教育委員会(編)『真岡市史案内』収録の小林利男「中村城のこと」の文献によると、栃木県真岡市の遍照寺古寺誌や中村八幡宮の記録の中村朝定についての出自についての伝承には朝定は幼名を経若と言い、その出自については源義経の遺児経若であるという。古寺誌によると源義経の遺児経若が伊佐為宗によって養育され成人後、中村蔵人義宗と名乗り、後に改めて中村左衛門尉朝定と名乗った。この遍照寺や中村八幡宮を中心とした地域の寺院等に同様の伝承文献が存在する。 遍照寺 (真岡市)の古寺誌 文治中、藤原泰衡追悼の軍功により賞与を仝地に賜り、故に奥州伊達の地に移る。これより先、常陸坊海尊なる者藤原秀衡の命を受け源義経の子、経若を懐にして中村に来り、念西に託す。念西、伊達に移るに由り常陸冠者為宗を伝とし中村家を為村に譲り、為宗我が子とし成人の後、中村を続かしむ。後、中村蔵人義宗と言ふ。又左衛門尉朝定と改む。
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