源内峠遺跡とは? わかりやすく解説

源内峠

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 22:52 UTC 版)

源内峠
所在地 滋賀県大津市
座標
北緯34度57分55.4秒 東経135度56分40.5秒 / 北緯34.965389度 東経135.944583度 / 34.965389; 135.944583座標: 北緯34度57分55.4秒 東経135度56分40.5秒 / 北緯34.965389度 東経135.944583度 / 34.965389; 135.944583
標高 170 m
プロジェクト 地形
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源内峠(げんないとうげ)は、滋賀県大津市に位置するである。

概要

大津市上田上芝原町と同市瀬田南大萱町を結ぶ峠であり、標高は170 m(メートル[1]。峠付近に製鉄所の遺構が発見されている。舗装がされていない峠で、現在では通行する人もほとんどいなくなったが、昭和初期までは地元の農業従事者が農作物木材を担ぎながら通行したとされる[2]。地元住民らで組織される「源内峠遺跡復元委員会」によって、倒木や雑草の除去、道標の設置が行われている[2]

源内峠遺跡

源内峠遺跡に復元された溶鉱炉

源内峠遺跡とは1977年昭和52年)に発掘された白鳳期の製鉄炉の遺構である[1]。この遺跡は地元の小学生が地表の鉄滓を見つけたことをきっかけに発掘された[3]。4度の調査を経て、2001年平成13年)に発掘調査報告書が取りまとめられている[3]。また、2006年(平成18年)には瀬田丘陵生産遺産群として国史跡に登録された[3]

発掘調査では7世紀後半頃と推定される4基の製鉄炉が発見された[3]。いずれも長さ2.5 m、幅30 cm(センチメートル)前後、高さは1 mあまり[4]。25-50年間、継続的に稼働してきたのと推定される[4]。当時の製鉄炉としては国内最大規模である[3]。また、残っている鉄滓の量からも操業規模も大規模であったとみられる[3]。このことから、この製鉄炉は宮都の造営を支えてきたと評価される[4]。「源内峠遺跡復元委員会」によって2007年(平成19年)に復元されている[4]

なお、源内峠遺跡から北東に約2.5 km(キロメートル)にある立命館大学びわこ・くさつキャンパスには同じく製鉄所の遺構である木瓜原(ぼけはら)遺跡がある[4]

周辺

脚注

出典

  1. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (1979-04-08). 角川日本地名大辞典 25滋賀県. 角川書店. p. 304 
  2. ^ a b “古代香る源内峠 散策を”. 京都新聞. 京都新聞社. (2011年12月22日) 
  3. ^ a b c d e f 新近江名所圖会 第23回 源内峠遺跡-甦った古代の製鉄遺跡-”. 滋賀県文化財保護協会 (2010年11月10日). 2019年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e 竹内義治 (2013年3月12日). “古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49) 源内峠遺跡(大津市)”. NIKKEI STYLE. 日経新聞社. https://style.nikkei.com/article/DGXNASHC0501H_V00C13A3000000/ 2019年6月15日閲覧。 

関連項目


源内峠遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 04:01 UTC 版)

源内峠」の記事における「源内峠遺跡」の解説

源内峠遺跡とは1977年昭和52年)に発掘され白鳳期製鉄炉の遺構である。この遺跡地元小学生地表鉄滓見つけたことをきっかけ発掘された。4度調査経て2001年平成13年)に発掘調査報告書取りまとめられている。また、2006年平成18年)には瀬田丘陵生産遺産群として国史跡登録された。 発掘調査では7世紀後半頃と推定される4基の製鉄炉が発見された。いずれも長さ2.5 m、幅30 cmセンチメートル前後、高さは1 mあまり。25-50年間継続的に稼働してきたのと推定される当時製鉄炉としては国内最大規模である。また、残っている鉄滓の量からも操業規模大規模であったとみられる。このことから、この製鉄炉は宮都造営支えてきたと評価される。「源内峠遺跡復元委員会」によって2007年平成19年)に復元されている。 なお、源内峠遺跡から北東に約2.5 kmキロメートル)にある立命館大学びわこ・くさつキャンパスには同じく製鉄所遺構である木瓜原(ぼけはら)遺跡がある。

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