渡米後の全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 05:42 UTC 版)
「ウィリアム・ディターレ」の記事における「渡米後の全盛期」の解説
1930年、米国ワーナー・ブラザースの映画監督としての求めに応じて渡米し、ハリウッドを拠点に活動を開始した。まずは公開された英語作品のドイツ語化の仕事であった。彼はそこで、新しいヨーロッパの才能、ハンガリー人のマイケル・カーティスを発見し、ワーナーに送り込んだ。1931年には彼の優れた叙述力や的確な演出力を元に簡単な助けによって、もう英語圏の映画が撮れるようになっていた。彼の英語での監督第1作『最後の偵察』(1931)はすでに傑作と認められる。1934年までに6作を数える。 この年、ラインハルトが、ナチスの迫害を逃れてディターレを頼って渡米してきた。ラインハルトは、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の舞台化を、伝説化してしまった豪華絢爛なハリウッド・ボウルでの上演を行ったのである。それは、ワーナー・ブラザースが十分なほど食指を動かす内容であった。ワーナー・ブラザースは1935年に偉大なラインハルトと共に舞台を映画化することに決めた。あのジャック・L・ワーナーさえその話を小耳に挟んでいた。ラインハルトはハリウッドについてはまったく知らなかった。そこで共同監督としてディターレが舞台と映画の間の仲立ちをしなければならなかった。できあがった作品は興行的にも成功し、映画界にとっても革命的な内容であった。 ディターレはまたポール・ムニを主役にして3本の第1級の伝記映画を作った。『科学者の道』(1936)、『ゾラの生涯』(1937)、『革命児ファレス』(1939)である。どの作品も、アカデミー賞のノミネートを受けた。この後、RKOに出てチャールズ・ロートンがカシモトを演じた『ノートルダムの傴僂男』(1939)を撮った。この作品は彼の代表作の1本とされる。表現主義を息づかせる様な限定されたライティングで作り上げたパリの中世風の地下世界の素晴らしい暗いシーンとロマンティックなスタイルが融合している。 1940年代は各スタジオを精力的にとびまわり、たとえばワーナー・ブラザースではエドワード・G・ロビンソン主演で2本の伝記物を撮った。彼は、やがて独立プロのデヴィッド・O・セルズニックの元で働くようになる。 また彼には、様々なジャンルの映画を撮ることができた。北欧伝説の映画化『悪魔の金』(1941)、甘いファンタジードラマ『ジェニーの肖像』(1948)、社会派メロドラマ『恋の十日間』(1944)、観光メロドラマ『旅愁』(1950)、など幅広いジャンルを手がけた。
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