渡来伝承とは? わかりやすく解説

渡来伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 14:18 UTC 版)

七姓漢人」の記事における「渡来伝承」の解説

阿知使主(阿知王)については『日本書紀』『続日本紀』新撰姓氏録』などに日本への帰化についての記録がある。『日本書紀』によれば応神天皇20年9月、倭漢直の祖の阿智使主と、その子都加使主が、17県の党とともに帰化した『続日本紀』延暦四年(785年六月の条によれば漢氏(東漢氏)の祖・阿智王は東方の国(日本)に聖人君子がいると聞いたので帯方郡から「七姓民」とともにやってきたと、阿智王の末裔氏族東漢氏出身坂上苅田麻呂述べた。 右衞士從三位下総守坂上大忌苅田麻呂上表言。臣等本是後漢靈帝曾孫阿智王之後也。漢祚遷魏。阿智王因牛教。出行帶方。忽得寳帶瑞。其像似宮城。爰建國邑。育其人庶。後召父兄告曰。吾聞。東國聖主。何不歸從乎。若久此處。恐取覆滅。即携母弟迂興徳。及七姓民。歸化來朝是則譽田天皇治天下御世也。於是阿智王奏請曰。臣舊居在於帶方人民男女皆有才藝。近者寓於百濟高麗之間。心懷猶豫未知去就。伏願天恩遣使追召之。乃勅遣臣八腹氏。分頭發遣。其人民男女。擧落隨使盡來。永爲公民。積年累代。以至于今。今在諸國漢人亦是其後也。臣苅田麻呂等。失先祖王族。蒙下人之卑姓。望 。改忌寸蒙賜宿祢姓。伏願。天恩矜察。儻垂聖聽。所謂寒灰更煖。復榮也。臣苅田麻呂等。不勝至望之誠。輙奉表以聞。詔許之。坂上内藏平田大藏。文。調。文部。谷。民。佐太。山口忌寸十一十六賜姓宿祢。 - 『続日本紀』延暦四年六月条 『新撰姓氏録』「坂上氏逸文」には、阿智使主同時期の来日である七姓漢人・多・皀郭・皀・段・高)およびその子孫桑原氏、佐太氏等と、仁徳天皇時代阿智使主朝鮮半島から連れてきたとされる村主氏が記されている。

※この「渡来伝承」の解説は、「七姓漢人」の解説の一部です。
「渡来伝承」を含む「七姓漢人」の記事については、「七姓漢人」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「渡来伝承」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から渡来伝承を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から渡来伝承を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から渡来伝承を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「渡来伝承」の関連用語

渡来伝承のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



渡来伝承のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの七姓漢人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS