清からの独立:大韓帝国とは? わかりやすく解説

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清からの独立:大韓帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:38 UTC 版)

李氏朝鮮」の記事における「清からの独立:大韓帝国」の解説

1894年駐留していた清軍と日本軍との間の軋轢から日清戦争勃発し日本軍勝利すると、下関条約によって朝鮮清朝冊封関係は終わり朝鮮日本助力によって清への服属関係を廃棄し独立国となった。 しかしその後朝鮮宗主国ロシア変える動き見せ閔妃ロシア近づき親露政策を取る事になる。これにより1895年10月閔妃惨殺される(乙未事変)。自分の后が暗殺され高宗1896年ロシア領事館退避する露館播遷)。1年後高宗王宮に戻るが、これは国としての自主性放棄するのに等し行為であり、これにより王権失墜し日本とロシアとの勢力争い朝鮮持ち込む結果となった1897年朝鮮大韓帝国国号改称し元号光武とした。 糟谷憲一は、「開国をもとめる欧米列強にたいして朝鮮交渉宗主国清に委ねたころから、清との宗属関係が強化再編」、列強との条約も清の強い指導のもとに行われそのこと反発した朝鮮が「宗属関係を廃棄、ここに朝鮮の『独立』が実現した結果列強清に気兼ねすることなく朝鮮進出する契機与えることになった指摘している。 ただここでその契機乗って日本朝鮮植民地化考えてたとするならば、下関条約時に朝鮮割譲すれば良かったわけで、矛盾生ずることになる。

※この「清からの独立:大韓帝国」の解説は、「李氏朝鮮」の解説の一部です。
「清からの独立:大韓帝国」を含む「李氏朝鮮」の記事については、「李氏朝鮮」の概要を参照ください。

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