清での活動とは? わかりやすく解説

清での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 08:28 UTC 版)

浦敬一」の記事における「清での活動」の解説

1887年明治20年10月19日長崎出発して25日上海到着漢口楽善堂荒尾精会い20日漢口入って善堂員に合流商務傍ら語学学び弁髪蓄えた1888年明治21年ロシア帝国シベリア鉄道計画対し危機感覚えた善堂では、軍事知識のある敬一を新疆派遣しイリ将軍劉錦棠幕僚となってロシア南下阻止することを決めた6月18日北御門松二郎、河原角次郎伴いロシア軍進入想定されるイリ路、アクス路、タルバガタイ路、カシュガル路の偵察回族チベット族等の状態、清の軍事産業政策視察、楽善堂幹部支部設立準備等を目的として新疆に向け出発したが、甘粛省蘭州府(中国語版)で先発藤島武彦等と合流できず、10月29日漢口帰還した1889年明治22年3月25日中国人扮して宋思斉と変名し藤島武彦再出発した襄陽府中国語版)、老河口荊紫関藍田西安府中国語版)、鳳翔府中国語版)、秦州鞏昌府中国語版)、狄道州(中国語版)、蘭州甘州粛州嘉峪関経て玉門県から新疆入りハミトルファンウルムチ、クルカラウス(中国語版)、イリ、タルバガタイ、ウリヤスタイ天山路、アクスカシュガルヤルカンドホータン巡り崑崙山脈越えてチベット視察し、ダルツェンドから重慶戻り3年後帰還する計画だった。 漢水終南山経て5月8日西安府到着6月9日出発して9月無事蘭州府に到着した。ここで武彦は引き返すことを決め西方40中国里の村落別れたが、これを最後として消息途絶えた

※この「清での活動」の解説は、「浦敬一」の解説の一部です。
「清での活動」を含む「浦敬一」の記事については、「浦敬一」の概要を参照ください。

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