清でのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/04 08:50 UTC 版)
「ホレイショ・ネルソン・レイ」の記事における「清でのキャリア」の解説
1847年、レイは清に派遣され、ドイツの言語学者で宣教師のカール・ギュツラフのもとで中国語を学んだ。中国語に堪能になったレイは、すぐにイギリス領事に昇進し、1854年には上海の臨時副領事に任命された。同年、レイは清の海関(税関)の設立に参加し、翌年には初代総税務司(税関長)に就任した。清では李泰國(Lǐ Tàiguó)という中国風の名前を名乗ったが、これは父が名乗った李太郭(Lǐ Tàiguō)に似せたものである。 アロー戦争中、レイはエルギン伯の通訳を務め、天津条約の交渉にも参加した。レイは実際の条約の策定を担当したわけではないが、清側に非常に不利な条件であったにもかかわらず、清の代表団を脅して条約に署名させることに貢献した。特に、清の代表者である耆英がイギリスに敵意を持っていることを明らかにする文書を公開して、耆英に屈辱を与えた。恥をかかされた耆英は同年に自殺した。
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