海音寺潮五郎と直木賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 07:20 UTC 版)
「海音寺潮五郎」の記事における「海音寺潮五郎と直木賞」の解説
海音寺は第1回直木賞から候補者として名を連ね、第3回で受賞しているが、この当時、既に多くの作品執筆依頼があり、作家としての生活が軌道にのっていた海音寺は、創設直後の直木賞にあまり魅力を感じなかったこともあり、同じく第1回から候補者となっていた浜本浩が受賞すべきだとして受賞辞退を申し出た。しかし、「既に決まったことだから」という関係者の説得に折れて、受賞を承諾している。 なお、受賞作は一般に「天正女合戦」と「武道伝来記」の2作品とされているが、これは当時の選考委員だった吉川英治らがこの両作品を批評していることを根拠とするものであり、受賞作がこの2作品であると明記されている文献は存在しない。 授賞式を終えた海音寺は、郷里に帰る予定にしていたため列車に乗り込んだが、その列車に授与されたばかりの賞金と懐中時計を置き忘れてしまった。列車を下車した後でそのことに気づき、あわてて次の停車駅に電話してもらったところ、無事に戻ってきたとのことである。海音寺は後年、「まだまだ、よい世なみだったのである」と、このときの事を回想している。直木賞創設当初の賞金は500円、副賞の懐中時計はロンジン社製であった。 第39回の直木賞から選考委員をつとめ、第63回を最後に委員を辞任するまで、全ての選考委員会に出席し、選評を書いた。この間、特に第42回の受賞者となった司馬遼太郎を海音寺が非常に高く評価し、受賞に導いた。 一方で、文学観の異なる作家には非常に厳しい評価を下しており、例えば、第40回から候補者となっていた池波正太郎に対しては酷評といっていいほどの低評価を繰り返し下しており、池波が受賞者となった第43回では、「こんな作品が候補作品となったのすら、僕には意外だ」とまで極言し、結局、直木賞選考を辞退するまでにいたる。 鹿児島県出身の直木賞・芥川賞受賞者は、2014年上半期現在、海音寺だけである。
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