海軍特別警察隊による取り調べの実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 15:26 UTC 版)
「ポンティアナック事件」の記事における「海軍特別警察隊による取り調べの実態」の解説
戦時中、住友ボルネオ殖産のポンチアナク支社で社員として勤務していた井関恒夫は西ボルネオの海軍特別警察隊に徴用され、通訳として1943年の10月の第一次検挙に関わっている。井関氏は当時の海軍特別警察隊による取り調べの様子を記録してる。 (著者が命令書を受け取って現地海軍特警隊本部へ赴くと)逮捕された者達が座っている広間の前庭に、果物のジャムボの木が生えている。その木に一人の男が、爪先が届く程度の高さで吊り下げられていて、その男を一人の兵がこん棒を握って、思い切り殴っていた。(中略)私と小林氏と二人で隊長の所へ行き、「隊長、何故あんなに殴るんですか?」「あいつら悪い奴や、悪い奴は殴るんだ」と隊長は頭から決めつけた。「調べもせんで殴るんすか?」 「悪い奴やから捕まえたんだ、悪い奴は殴っちまえ!」と当時隊長である上杉中尉の言葉であった。 — 井関恒夫(1987)『西ボルネオ住民虐殺事件―検証「ポンテアナ事件」』 p.27 その後井関が通訳として取り調べの作業を始めると、現地の海軍特警隊には通訳が1〜2名いるのみで現地語を解する者がほとんどおらず、止む無く拷問による自白が行われていたことがわかったという。 井関は戦後、逮捕者のほとんどが冤罪だったのではないかと推測している。 他方、研究者からは事件がここまで大きくなったのは海軍特警隊による密告の奨励であるとの指摘や、インドネシア人と華僑など歴史的に対立関係にあったものがいきなり共謀して反乱を起こすのは不可能であり、現地の海軍特警隊の強迫観念が原因であるとの指摘もなされている。
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