海岸砂丘列と砂丘間低湿地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:00 UTC 版)
全域が海岸平野の湘南砂丘地帯であり、平坦だが、北西部は東北東-西南西方向、中央部は北東-南西方向、南東部は北北東-南南西方向の砂丘列が見られ、南部は弧状の海岸線に沿った西北西-東南東方向の数列の新しい砂丘列が見られる。この砂丘列の方向は、かつては季節風の吹き寄せによるとされてきたが、近年では縄文海進以降の陸化過程での海岸線方向の変化によると考えられている。砂丘列の方向は鉄道や道路の方向、地割りや建築物の方向、耕地の畝の方向などに影響を与える。鵠沼地区の中央に伸びる北東-南西方向の顕著な砂丘は、北部で海抜25mに達し、鵠沼地区の最高地点である。ここは「新田」集落のすぐ南方にあるため、地元では「新田山」と呼び慣わしてきた。この砂丘列の南部では、所有する地主の名を採った「高松山」「斎藤山」、あるいは植生から採った「バラ山」などという呼び方も見られた。風の吹き寄せによって特に高くなった砂丘は「高砂(たかすな)」と呼ばれることがあり、藤沢駅南方の江ノ島電鉄に沿ったものは停留所の名称(現石上駅)にもなった。また、鵠沼藤が谷南部にも昭和初期までは高砂と呼ばれた砂丘があった。江ノ島電鉄柳小路駅 - 鵠沼駅間の南北方向の砂丘は、高値で売れたことから「百両山」と呼ばれた。砂丘間の低地は潟湖が陸化して海砂に覆われているため、水はけが良く乾燥しているように見えるが、地下水位は案外高い。このため、井戸を掘削することは容易で、別荘分譲地開発時代は先ず庭池を掘り、その砂で土盛りをした上に家屋を建てる方法が採られた。鵠沼松が岡の中央部には昭和初期までアシの生えた湿地が残り、そこからの細流は東流して境川に注いでいた。
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