浜通りの原子力電源と首都圏を接続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 00:17 UTC 版)
「新福島変電所」の記事における「浜通りの原子力電源と首都圏を接続」の解説
東京電力が管外発電所として福島第一原子力発電所1号機を建設した際、首都圏への送電のため福島幹線を建設した。その際、同発電所から約20km、海岸から約10km程内陸に入った地点に本所の前身となる双葉開閉所を設け、開閉所としては1972年7月に開所した。 将来的には発電所内の主変圧器との2段階昇圧によって500kVで送電することを計画したが、3号機の運転開始に伴い、当時既設されていた福島幹線2回線、福島東幹線1回線では送電容量に不足を感じる事態となった。当時、実用回線での500kV送電は1973年より房総線にて開始されていたが、福島幹線においても500kV送電を開始することになり、新福島開閉所に275/500kV、100万kVA主要変圧器2バンクを設置して福島幹線の本所より南側を500kVに昇圧し、新福島変電所として開所した。 なお、双葉郡原発反対同盟など福島第一原子力発電所反対運動は「トランス搬入阻止闘争」を実施、上記の日立製100万kVA変圧器の双葉開閉所への搬入が遅延したことで、福島幹線の昇圧予定と共に大幅に遅延したが、1974年7月11日に最初の1基がトレーラーで搬入された。 1975年に入ると新福島変電所の設備も50万V昇圧に向けた据付工事が終わり各種試験、官庁検査が進められていた。主な試験内容は初加圧試験、変圧器励磁試験、変電所耐圧試験、リレー・遮断器の動作テストなどであった。そして、5月17日夕方、官庁検査を終了、福島幹線により50万Vでの送電を開始した。東京電力管内では房総線、新袖ヶ浦線に続く3番目、日本全国では4番目の運転開始であった。 また、福島第二原子力発電所が建設された際、接続送電線は本所に結ばれた。
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