浜尻屋貝塚
名称: | 浜尻屋貝塚 |
ふりがな: | はましりやかいづか |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 青森県 |
市区町村: | 下北郡東通村 |
管理団体: | |
指定年月日: | 2006.07.28(平成18.07.28) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 本州最北端、下北半島東北端部に立地するアワビを主体とする中世の貝塚。14世紀前半から15世紀末まで存続。14ヶ所の地点貝塚があり、殻長6cm前後の大きさの揃った大量のアワビ貝殻などが出土した。貝塚後背部の平坦な盛土整地層では、多数の掘立柱建物や井戸、カマド状遺構等を検出し、これらの建物は漁獲物の加工施設であるとすることができる。また、出土遺物からは活発な交易活動が窺われる。 浜尻屋貝塚は大量のアワビ貝殻と加工施設の存在から干アワビを生産していたものと考えられる。干アワビは古代では地方からの貢納品であり、近世では「長崎俵物」として中国に輸出されていたように、珍重された保存食材として広く交易されていたと考えられる。中世における実態は不明な点が多いものの、既に交易品としての干アワビを生産していたことは注目すべきことである。 この様に、浜尻屋貝塚は中世における海産物加工品生産の実態を良く示すとともに、当時の交易の様相を知ることができる上でも貴重である。 |
浜尻屋貝塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 09:10 UTC 版)
座標: 北緯41度24分38秒 東経141度27分31秒 / 北緯41.41056度 東経141.45861度
浜尻屋貝塚(はましりやかいづか)は、青森県下北郡東通村尻屋にある室町時代の貝塚。中世における海産物加工品生産の実態を物語っており、当時の交易の実態をも知ることができるものとして貴重なものとなり、2006年(平成18年)7月28日に国の史跡に指定されている[1]。
特徴
貝塚は14箇所に分かれ、貝層は殻長6センチメートル程度のアワビが主体である。室町時代の14世紀前期から15世紀後期まで存在したと考えられており、古代に地方からの貢納品であった干アワビの生産地であったとみられる。かつて、海産物を俵に詰めて中国など国外に出荷することを「俵物」と読んだが、長崎県の「長崎俵物」は著名である[2]。アワビも俵物と同様に、保存食材として広く交易された重要なものであったと考えられている。遠隔地との交易実態について不明点の多い中世に、干しアワビという交易品を産しており特筆すべきことから、国の史跡に指定された[3][4]。
脚注
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