活字プリンタの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 02:40 UTC 版)
活字プリンターの歴史は古く第二次大戦前からモールス符号を一旦鑽孔テープに採りそれを紙テープに印字するものから[要出典]、テレックス通信(5単位ボー符号)での印刷電信としては既に第二次大戦前の1921年頃のMorkrum、テレタイプ、シーメンス、ホイートストンなどからテープ式、ページ式活字プリンターが作られた。特に1930年からのテレタイプ社製15型機はタイプバー式ページ印刷方式のもので、第二次大戦中に米軍が使用し、約20万台製造された。15型と併用された1925年からの14型機は鑽孔テープに印字もするもので 自動テープ送信のため使用され、両者が合体したものが1942年からのASR-19である(占領下GHQで最初に見られたのは1949年)。その後1951年に信頼性の高い28型機 (ASR、KSR、RO) が出現し、日本でも新聞社や放送局や商社で数台から十数台が24時間新聞電報を打ち出していた。 7単位ASCII符号を用いる1963年頃に出現したASR-33がテレタイプ社から出てからは、5単位ボー符号機は印字文字の種類の少なさから次第に使われなくなり、ASR-32とKSR-32が5単位符号機としては最後のものとされた。ASR-33はプラスチックカバーで覆われるなど、金属カバーの重厚な5単位ボー符号28型機と比較して劣るとされたが、ASCII符号のページプリンターとしては以後標準的存在であった。 「テレタイプ端末」も参照
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