洋学への強い関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:48 UTC 版)
定信は軍事関係の知識を中心に洋学に強い興味を持っていた。定信はオランダ語を学ぼうとしたものの、蘭書を読む域には達せなかったため、寛政4年に元オランダ通詞である石井庄助を、寛政5年に蘭方医である森島中良を召し抱えている。石井は定信より定信が収集した洋書の翻訳を命じられ、軍事関係の事項を抜粋した「遠西軍書考」を編纂している。石井は寛政6-7年に「蘭仏辞典」を訳しており、これに稲村三伯らが手を加え、日本最初の蘭日辞典である「ハルマ和解」が完成した。寛政元年、北方の地理やロシアについての情報を得る為、「ニューウェ・アトラス」という地図を入手しオランダ通詞の本木良永に訳させている。さらに、田沼時代の幕府に折る改暦事業を引き継ごうとして、寛政3年には自らが所蔵する天文書をこれもまた本木良永に訳させ寛政5年に幕府に献上している。自然科学についての関心も深く、ガラス製のリユクトポンプ(空気ポンプ)を作らせ、鳥などを入れて空気を出し入れすることで、生き物にとって空気が不可欠であることを証明する実験を行っている。洋画収集を趣味として持っており、亜欧堂田善に洋式銅版画の技術を学ばせている。これは地図など海防上での利点の効果も期待していた。他にもトランペットの模造や「蛮国」製の万力の模造品を作らせ浴恩園にて操作させている。軍事本ではないが、オランダの植物学者ドドネウスが書いた草木譜CRVYDT-BOECKの翻訳を石井当光,吉田正恭らに全訳を命じ「ドドネウス草木譜」を作らせている(p193-195,266-267)。
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