決済事業者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 18:46 UTC 版)
「ベルギー国立銀行」の記事における「決済事業者として」の解説
旧三国同盟の独占資本が再び国際金融で活躍する時がきた。 ローマ条約が結ばれてから、ベルギー総合会社は決済事業へまい進した。オランダ・アムステルダム銀行(現ABNアムロ銀行)とドイツ銀行の間に「紳士クラブ」と呼ばれる協定を結んだ。ブレトン・ウッズ協定がヨーロッパの国際決済銀行へ切り込み、通貨の主導権をめぐる攻防が展開される中で欧州の結束が強まったのである。実際、1958年にはヨーロッパ通貨協定ができている(国際通貨基金#ブレトン・ウッズ体制)。1963年にミドランド銀行(現HSBC)を加えて紳士クラブは欧州顧問委員会となった。委員会は1970年にEuropean Banks International Company という名前のベルギー法人となった。発足後、この会社には錚々たる銀行が参加した。ソシエテ・ジェネラル、クレディタンシュタルト、Banca Commerciale Italiana である。この会社はユーロクリアのできた1968年に、大西洋間チャンネルとして欧米銀行会をニューヨークに設立している。 ベルギー領コンゴの独立後、総合会社関連企業は現地での営業を継続した。もっとも、政治的圧力から事業が二分され、それぞれの根拠法が本国のものとコンゴのものになった。 1972年、総合会社はカード事業へ参入した。1977年、国際銀行間通信協会に参加した。 カード事業をきっかけとして一般の個人客にもサービスを提供するようになり、総合会社は1985年にジェネラルバンクと改称した。1988年にはスエズ金融などから買収を仕掛けられ、スエズの傘下におさまった。 1998年、スエズSAがベルギー総合会社を売却し、翌年フォルティスグループが受け皿となった。 2003年、フォルティスからベルギー総合会社の香港支店Generale Belgian Bank が中国工商銀行に売却された。
※この「決済事業者として」の解説は、「ベルギー国立銀行」の解説の一部です。
「決済事業者として」を含む「ベルギー国立銀行」の記事については、「ベルギー国立銀行」の概要を参照ください。
- 決済事業者としてのページへのリンク