江沢民と胡錦濤政権下の中国外交
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「韜光養晦」の記事における「江沢民と胡錦濤政権下の中国外交」の解説
中国国外の研究者の多くは、本稿で論ずる「韜光養晦」との鄧小平の有名な格言であるとする。しかし、鄧が実際にそれを口にしたという証拠はない。これらの演説にも、『鄧小平文撰』にも該当箇所は見当たらない。鄧が実際に格言のこの部分を使ったと思われるのは、1992年の名高い「南方視察講話」中で、「目立たないようにしながら(韜光養晦)何年か一生懸命に働けば、国際社会でもっと影響力をもてるようになるだろう。そうして初めて、国際社会で大国になれる」と話している。一般的には鄧小平の言葉とされるこの「韜光養晦」との表現を最初に使ったのは、鄧小平の後任の江沢民党総書記であった。中華人民共和国では、5年に1度世界から大使を集め、駐外使節会議が開かれ、外交の基本方針が示されるが、1999年に開かれた第9回駐外使節会議の場で、江沢民は「冷静観察、穏住陣脚、沈着応対、韜光養晦、有所作為」(冷静に観察し、しっかりと足場を固め、沈着に対処し、能力を隠して力を蓄え、力に応じ少しばかりのことをする)を中国外交の基本方針とした。諸外国においては、「韜光養晦」は「中国が密かに国力を充実させるための青写真」とも受けとられることもあったが、鄧小平や江沢民はむしろ一連の表現で、「国際社会で目立つな」という一大戦略を呼び掛けていたのである。しかし、続く胡錦濤政権下にあって、中国外交に変化がみられるようになった。胡は、総書記就任当初は、協調的な外交方針を掲げており、2004年の第10回駐外使節会議において「平和安定の国際環境、善隣友好の周辺環境、平等互恵の協力環境、友好善意の世論環境」の「四環境」を整備するように呼びかけた。しかし、後に中国の大国化に伴い台頭する対外強硬論に抗しきれなくなった。2009年の第11回駐外使節会議においては、「政治の影響力、経済の競争力、親しいイメージを呼び起こす力、道義による感化力」の「四つの力」を強めるよう呼びかけるようになった。さらに胡は、「韜光養晦、有所作為」という抑制的な外交方針を、「堅持韜光養晦、積極有所作為」(能力を隠して力を蓄えることを堅持するが、より積極的に少しばかりのことをする」と修正した。
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