総書記就任
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1987年1月16日の政治局拡大会議における胡耀邦の解任を受けて総書記代行に就任し、10月20日の第12期7中全会において追認された。さらに同年11月2日の第13期1中全会で党総書記、党中央軍事委員会第一副主席に選出された。なお党内序列は第1位である。 「経済政策に専念していたかったが、他の誰かがやるよりは自分がやったほうがましだと思った」と後に回顧している。後任の総理には「自身より若い者」を指名すると記者団に明かした。当時趙紫陽より若い副総理は李鵬か田紀雲の2人で、李鵬を指名することになった。本来は姚依林に任せたかったが、年齢を考え見送られた。 1988年夏に鄧小平が行った価格改革を契機にハイパーインフレが発生した。趙紫陽はその責任を取って総書記就任からわずか1年で経済政策を保守派の李鵬・姚依林に譲ることとなった。
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