失脚と軟禁生活
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6月23日・24日の両日に開催された第13期4中全会で、“動乱を支持し、党を分裂させた”趙紫陽は党総書記就任直後から4つの基本原則から逸脱し、ブルジョア自由化に寛容だったとされて党の全職務を解任された。党籍のみ、そのままとされた。 自宅軟禁下に置かれたものの、外出は比較的自由で趣味のゴルフなどを楽しんでいたが、1997年9月に第15回党大会の主席団に天安門事件の再評価を求める書簡を送った後には、来客が追い返されたり外出を制限されたりした。失脚直後から長年の友人である宗鳳鳴が度々気功師として訪れ、談話をまとめた物が2007年に香港で出版されている。 一説には鄧小平は「六四天安門事件で武力弾圧に反対した罪を認めるなら復帰を許す」という手紙を趙紫陽に3度送ったものの、趙紫陽は「反対は信念に基づいたもの」としていずれも拒否したと言われている。陳雲・李先念らが推薦した後継者の江沢民総書記が.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}右顧左眄(うこさべん)する様子を見て失望したという。
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