失脚・逮捕・晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 17:56 UTC 版)
詳細は「金丸事件」を参照 1992年8月、東京佐川急便事件に絡んで東京佐川急便から5億円の闇献金が発覚した。金丸は副総裁を辞任し、東京地方検察庁に政治資金規正法違反を認める上申書を提出した。9月に東京簡易裁判所から罰金20万円の略式命令を受けた。刑罰の軽さに批判が大きく、こうした世論の反発の強さから、金丸は10月14日に衆議院議員の辞職願を提出し、10月21日付で辞職した。竹下派会長も辞任した。 1993年3月6日、金丸は政治資金を流用して個人資産を蓄財し脱税したとして東京地方検察庁に逮捕された。検察は金丸が1987年から1989年にかけて約18億4230万円の所得を隠し、10億3775万円を脱税したとされた(1987年と1989年は金丸単独の犯行、1988年は金丸と第一秘書の生原正久との共同の犯行とされた)。金丸は捜査段階では罪を認めていたが、保釈後は「政界再編のための資金」として無罪を主張するようになった。だが、金丸の体調は持病の糖尿病により悪化し、左目は白内障によりほぼ失明しながらも、最後まで刑事裁判を続けるつもりで1ヶ月に1度から2度、裁判のために甲府市から東京地方裁判所へ通っていた。しかし、金丸のあまりの体調の悪化を心配する家族の申し出により、1996年3月21日に公判は停止した。 その1週間後の3月28日に脳梗塞で死去した。81歳没。このため、公訴棄却となった。
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