江戸時代より前の代官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:25 UTC 版)
中世以降の日本では、預所代、国司の目代、守護代、小守護代、地頭代、或いは出征した軍勢の統括を代行する陣代などの代官職があり、さらにそれらの代官である叉代というのもあった。 そもそも、代官という概念は、公領および所領の政務・支配を代行する職をいった。主な例は武家政権成立以前の国司とその職務を代行した目代が挙げられる。平安時代以降、国司自ら着任することなく国府の政務を代行を遙任された遙任という制度が確立し、遙任をした国司より国府に目代という地位が置かれることが一般的となった。 鎌倉時代以降、守護地頭制に基づく武家政権の土地支配の権力構造が成立すると、複数の諸国に守護職を得た御家人が守護代を置くようになり、守護の職権を代行した。室町時代においては幕府直轄領の管理者が代官と称され、守護の代官たる守護代やその代官たる小守護代などとは区別された(守護代の項目参照)。 このように、広義における代官職は国司の目代や守護代のように、任国の職務を代行する地位を広く指したが、室町時代以降となると、当初は室町幕府の直轄領地の支配を代行する地位を指すようになり、これに習い、戦国大名たちも自身の直轄領に代官を置くようになったことから代官を職名とする地位全般を指すようになった。 特に安土桃山時代以降は織田信長が自身の家中において家臣を城下に居住させることを徹底し、領主不在の領地が急激に増えたこともあり、家臣の新知の知行地もまとめて代官に管理させるようにした[要出典]。
※この「江戸時代より前の代官」の解説は、「代官」の解説の一部です。
「江戸時代より前の代官」を含む「代官」の記事については、「代官」の概要を参照ください。
- 江戸時代より前の代官のページへのリンク