江戸時代の高札
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:07 UTC 版)
これを最も良く用いて全国的な制度として確立したのは江戸幕府及び諸藩であった。特に重要度の高い触は木製の立て札である高札(制札)で掲示された。 高札制度の目的としては、 新しい法令を民衆に公示する。 民衆に法の趣旨の周知徹底を図る。 基本法である事を明示する(違反者は「天下の大罪」であるとして、死罪などの重い刑に処せられることが多かった)。 民衆の遵法精神の涵養を図る。 民衆からの告訴(謂わば密告)の奨励(特にキリシタン札(切支丹札)などには高額の賞金が掲げられた)。 幕府や大名の存在感の誇示。 などが挙げられる。 正徳元年(1711年)の「正徳の高札」は封建倫理の教諭、火事や強訴徒党などに対する取り締まりを示したもので幕末まで全国の高札場に掲示されていたという。このほか代表的な高札としては、寛文元年(1661年)の5枚の高札(撰銭、切支丹、火事場、駄賃、雑事)や正徳元年(1711年)の5枚の高札(忠孝、切支丹、火付、駄賃、毒薬)、明治維新とともに新政府から出された五榜の掲示などがある。
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