江戸時代の院政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 01:09 UTC 版)
江戸時代に入ると、『禁中並公家諸法度』に基づいて江戸幕府の対朝廷介入は本格化した。幕府は摂政・関白を中心とした朝廷秩序を求めた。しかし後水尾上皇による院政が敷かれたため、明正天皇が朝廷に於ける実権を持つことは無く、後水尾上皇に朝廷内の実権が集中した。霊元上皇が院政を行うと、親幕府派であった近衛基熙との間に確執を生んだ。霊元院政の終了後、桜町天皇が上皇となって院政を行ったが、わずか3年で崩御、後桜町上皇は後桃園天皇・光格天皇が幼い時期には院政を行ったが、光格天皇は成人後に親政を行っている。光格天皇は、息子の仁孝天皇に譲位して院政を行ったが、これが最後の院政である。
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