江戸時代の銀座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 14:54 UTC 版)
慶長6年7月(1601年)には、伏見銀座から慶長丁銀が鋳造され、以後、江戸幕府によって品位を一定に定められた丁銀が発行され、元和年間以降は常に小額通貨である同品位の豆板銀(小玉銀)を伴って発行された。銀座では常に鋳造された丁銀は灰吹法による糺吹(ただしふき)すなわち銀品位の抜き取り検査が行われ、規定の品位の基準を満たさない場合は吹き戻され作り直された。 銀座は銀の売買、地金への極印打ち、すなわち貨幣の鋳造を許された御用達商人であり、銀座の経営方式には、私領銀山などから産出される灰吹銀(買灰吹銀)を買い集めて丁銀を鋳造し一部を運上として幕府に納める自家営業方式、あるいは天領銀山から産出される公儀灰吹銀を銀座が預り丁銀に鋳造して一部を分一銀(ぶいちぎん)として受取る御用達方式があった。しかし新産銀が減少し自家営業方式が困難となった元禄期以降は、御用達方式による分一銀が主な収入源となった。
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