江戸時代の金貨と銀貨について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:26 UTC 版)
「変動相場制」の記事における「江戸時代の金貨と銀貨について」の解説
江戸時代、江戸では金貨(小判)が通貨として用いられ、大阪では銀貨(丁銀)が用いられていた。更には小額貨幣として銅貨(銭貨)があった。慶長14年(1609年)に幕府は三貨の御定相場として金一両=銀五十匁=永一貫文=鐚四貫文と定め、元禄の改鋳による銀相場高騰の是正のため元禄13年(1700年)に「金一両=銀六十匁=銭四貫文」と改訂したが、実態は市場に委ねる変動相場制であった。そのため両替商では相場に応じてこれらの貨幣が交換売買された。 明和9年(1772年)9月に田沼意次が南鐐二朱銀の発行を命じ、また天保8年(1837年)に一分銀が発行され、これらの計数銀貨の流通が丁銀を凌駕するようになると、銀貨も両の通貨体系に取り込まれるようになり、事実上の固定相場制となった。このような定位銀貨の台頭により、小判に対し変動相場で取引される丁銀の流通は空洞化し、銀目取引は大部分が藩札および手形などに置き換えられた。さらに江戸時代は米も通貨のような役割を果たしていたため、通貨制度はかなり複雑なものになっていた。
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