民衆への規制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 04:10 UTC 版)
時代劇等では、大名行列が往来を通り過ぎるときには必ず先導の旗持ちの「下にー、下にー」との声にあわせ百姓・町人などは脇に寄り平伏しているシーンが登場するが、実際にはこの掛け声を使えるのは徳川御三家の尾張・紀州藩(水戸藩は例外で江戸常勤であるため参勤交代はなかった)だけで、ほかの大名家は「片寄れー、片寄れー」又は「よけろー、よけろー」という掛け声を用い、一般民衆は脇に避けて道を譲るだけでよかった。土下座をする者も行列の中の本陣(大名が乗った籠)が通る際のみであった。そのほか、盛り砂を立てたり、水を振りまいたり、水桶を置いたり、露払いをするなどの振る舞いをする庶民もいた。 むしろ庶民に取っては、華美な大名行列を見物する事は一種の娯楽であり、各藩もそれがために大名行列を一層華美にしたのであり、平伏を強いられる状況ではそれが成り立たない。もちろん、道を譲るのも、御三家の行列で平伏するのも、道の脇にいる場合だけで、大名行列が通過する間は自宅や食事処に入ったり、前触れの声を聞いて脇道に入るなどすると、一切の規制がなかった。平伏が必要な御三家等の行列も、遠目でなら普通に見物できたため、幕末に日本を訪れたジェームス・カーティス・ヘボンが、丘の上からオペラグラスで尾張藩の大名行列を見物したという記録もある。 大名行列の前を横切ったり(供先(ともさき)を切る、と言う)、列を乱すような行為は非常に無礼な行ないとされ、場合によってはその場での「無礼討ち」も認められていた。幕末に発生した生麦事件が有名である。ただし、実際には事前に警告を行うため、無礼討ちにまで至るのは稀である。生麦事件も、言葉が分からなかった事もあり、度重なる要請や警告を無視する結果になったために起こっている。特例として飛脚、出産の取上げに向かっている産婆(現在の助産師)は行列を乱さない限りにおいて、前を横切る事を許されていた。
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