民俗学研究家として
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1930年代になって、方言や民俗文化の研究に没頭するようになった存は、1934年に同好の士と高志路会を結成し、1935年には月刊誌『高志路』を創刊した。同年に柳田國男が指導して東京で開催された第一回日本民俗学講習会に参加し、1936年には柳田を新潟市に迎えて民俗学の講演会を開催している。1937年に『越後方言考』を刊行、1938年には寺門静軒の『新斥富史』に訳註を付して刊行した。1950年には『県内地名新考』上・下巻を刊行し、また新潟県内各地の郷土誌を著すなど、新潟県内の民俗学研究、郷土史研究をリードし続けた。これらの功績が高く評価され、1950年に新潟日報文化賞を受賞、1952年には日本民俗学会名誉会員となった。また、1953年には新潟県民俗学会を設立した。1955年に脳出血で倒れて以降、病気がちとなったため、存を慕う坂口献吉(仁一郎の子、安吾の兄)らは小林存を守る会を結成、存に療養費を贈っている。1961年死去。
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