比叡山上の共同謀議伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 22:49 UTC 版)
「承平天慶の乱」の記事における「比叡山上の共同謀議伝説」の解説
京で朝廷に中級官人として出仕していた青年時代の平将門と藤原純友は、或る日、比叡山に登り平安京を見下ろした。二人はともに乱を起こして都を奪い、将門は桓武天皇の子孫だから天皇になり、純友は藤原氏だから関白になろうと約束したとする伝説が世に知られている。また、比叡山上には、この伝説にちなんだ「将門岩」も存在し、そこには将門の無念の形相が浮かび出るという伝承までがなされている。 当時の公卿の日記にも同時期に起きた二つの乱について「謀を合わせ心を通じて」と記されており、当時、両者の共同謀議がかなり疑われていたようである。 実際には、両者の共同謀議の痕跡はなく、むしろ自らの地位向上を目指しているうちに武装蜂起に追い込まれてしまった色合いが強い。二つの乱はたまたま同時期に起こり、東国で将門が叛乱を起こし、純友は西国で蜂起に至ったと考えられる。 その一方で、将門に襲撃されて国司の印を奪われて逃げ出した上野介藤原尚範は純友の叔父(父親の実弟)にあたる人物である。このため、先行した将門の動きが尚範の親族であった純友に何らかの心理的影響を与えた可能性までは否定できないという考えもある。
※この「比叡山上の共同謀議伝説」の解説は、「承平天慶の乱」の解説の一部です。
「比叡山上の共同謀議伝説」を含む「承平天慶の乱」の記事については、「承平天慶の乱」の概要を参照ください。
- 比叡山上の共同謀議伝説のページへのリンク