比叡山ドライブウェイ開通後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 08:27 UTC 版)
「比叡山ドライブウェイ」の記事における「比叡山ドライブウェイ開通後」の解説
比叡山ドライブウェイの当初の利用客は予想以上に多く、開通3日目に1500台の自動車がひしめき合い、一方通行にしても間に合わず3時間立ち往生する始末だった。はじめは砂利が敷き詰められた道路であったが、1958年(昭和33年)秋にはアスファルト舗装に改められ、山肌に植栽して防護にあたっている。 ドライブウェイの開通によって坂本ケーブルの利用客が減少し、坂本への観光客も減少する問題が生じた。解決策として道路を坂本の西教寺まで延長し、雄琴に繋ぐ案が出された。また、工事中に問題になった土砂の流出が開通後も問題となり、四ツ谷川が氾濫する問題が度々発生した。これに対して四ツ谷川被害対策委員会が作られた。
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