殺人事件の無罪確定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 06:30 UTC 版)
「マイケル・パルデュー事件」の記事における「殺人事件の無罪確定」の解説
マイケルは服役中、後に妻となる女性との出会いをきっかけに無罪を主張し始めた。しかし、弁護士を雇う金がなく、新たな裁判の開始は困難を極めた。 それでも被告側は警察がでっちあげたとみられる証拠、死亡証明書の矛盾、唯一の物証とされた銃が殺人の凶器ではないことが鑑定で証明されて物的証拠、状況証拠の一切がないこと、4人の供述は矛盾に満ちていることなどの証拠を集めた。また、被告は虐待をしていた父親(1972年に父親は妻に対する傷害致死で懲役7年の判決)の影響で蹴るなどの暴力をふるわれ逆らえなかったと主張(アメリカにおいて取り調べの際に暴力をふるうことは禁止されている)。 1994年、連邦裁判所は裁判を新たに開く決定を下した。しかし、検事が提出した自白したとされるカセットテープや証言者により再び有罪判決、100年の禁固刑となった。 しかし、証言をしたとされる女性はモービル刑務所にボーイフレンドに会いに行った際、会ったマイケルが殺害を認めたと証言したが、1973年当時は14歳で刑務所に入ることを許される可能性はなく、そもそも会いに行ったとされるボーイフレンドは当時服役していなかった。他に、1973年の裁判で被告Aに対して不利な証言を言って釈放されたBの証言は、22年前と違う内容を主張して、武器の不法所持で服役していたが釈放されるという信用性に疑問符がつくものだった。 カセットテープについても1973年の裁判ではまったく存在が指摘されていなかったにもかかわらず、急に出てくるという不可解な部分があった。また、8箇所に及ぶ中断、1時間49分26秒もの録音が含まれていたことから、控訴院はカセットテープを証拠採用しない裁判を開くことを命じた。 司法長官は異議を申し立てたが、連邦最高裁判所は控訴院の判決を支持。この決定を受けて1997年にモービルの検事、ボルドウィンの検事は殺人容疑を取り下げ、逮捕されてから24年、無罪を主張してから13年で殺人容疑の無罪が確定した。
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