歴史と経路概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 23:48 UTC 版)
「アウトストラーダ A27」の記事における「歴史と経路概要」の解説
このアウトストラーダの最初の区間、メストレからコネリアーノまでは、1972年9月29日に供用開始された。引き続く12月1日に、コネリアーノからヴィットリオ・ヴェネトまでの11.1kmが、そして、翌年3月16日に、ヴィットリオ・ヴェネトから国道51号までの短い区間が開通した。 このアウトストラーダはマルカ・トレヴィジアーナの中心部(モリアーノ・ヴェーネト、トレヴィーゾ、コネリアーノ、ヴィットリオ・ヴェネト)を通り、それらの都市をA4に接続する。また、ドロミーティの観光地に行きたい人のためには、国道51号より便利な代替手段となっている。1995年から、ヴィットリオ・ヴェネト北からピアン・ディ・ヴェドイア(ポンテ・ネッレ・アルピ)の延伸部分が開通している。 この最後の区間は、ヴィットリオ・ヴェネト北出入口の先でパダーノ・ヴェネタの平野部をあとにしてプレアルプスに入る。ラピジーナ渓谷をいくつかの大きな高架橋を使って渡り、セッラ・ディ・ファダルトとサンタ・クローチェ湖地域をふたつのトンネルで通り抜け、ポンテ・ネッレ・アルピ近くのピアン・ディ・ヴェドイアで終わる。メストレからコネリアーノまでは、3車線および緊急車線の構成である。 また、ヴィットリオ・ヴェネト南出入口とモンテ・バルドトンネルの間の短い区間は、急勾配での交通流確保の為3車線化されている。ヴィットリオ・ヴェネト北とベッルーノの間で上下線が広く離れているところがある。北行き車線は、もともと国道51号のバイパスとして造られたトンネルと橋梁を利用しており、南行き車線は、当初からアウトストラーダとして設計されたものである。レ・カーヴェ トンネルは、山の不安定な面を掘りすぎたため、建設中に再設計された。本来南行きとなるはずだったトンネルを北行きに使い、南行きのトンネルは更に西側に掘削しなおされている。放棄された本来の北行きトンネルの南入口は今でも残っている。 サービスエリアは3箇所にある。南から、シーレ(ここは、2020年に、少し北にあったピアーヴェに代わって開設された)、チェルヴァーダ(北行き車線のみ)、ポンテ・ネッレ・アルピ西(南行き車線のみであり、北行き車線にはパーキングエリアがある。北行きのパーキングエリアからは歩道橋が設置されていて、サービスエリアに渡って行けるようになっている。)である。経路は非常に景観が良く、広い車線は道路を安全で快適なものにしている。 このアウトストラーダはアウトストラーデ・イタリア社が管理している。 1991年に開通したメストレ側のヴェネツィア・テッセラ空港への接続路部分は、メストレバイパスが開通した2009年2月8日からは、A57空港分岐路と分類されている。この区間はA27としては分類されていない。 2012年12月に、新たなモリアーノ・ヴェーネトへの新たな出入口が開通した。以前の出入口より市街地に近くなっており、以前の出入口は、カザーレ・スル・シーレと改名されて残っている。 ラピジーナ渓谷をわたる長い高架橋は、排水収集施設を備えていないため、水質汚染の可能性のある製品を運ぶタンクローリーは、ヴィットリオ・ヴェネト北出入口とベッルーノ出入口の間はアウトストラーダから一旦出て、国道51号アレマーニャを通らねばならない。
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