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武藤謙二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/22 16:34 UTC 版)

武藤謙二郎1918年4月20日 - 1973年4月20日)は、日本大蔵官僚

横浜税関長主計局次長(末席)、主計局次長(次席)、関税局長などを務めた。

来歴

茨城県出身。東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等試験行政科を合格[1]1944年12月 東京帝大法学部政治学科を卒業[1]1942年1月 大蔵省入省。専売局長官官房主計局[1]

1960年7月15日 大臣官房地方課長1961年6月23日 主税局税関部企画課長。同年11月1日 関税局総務課長。1963年6月1日 横浜税関長1965年6月18日 主計局次長(末席)。当時の主力産業であった農林業公共事業などを担当した[2]1966年7月22日 主計局次長(次席)。1967年8月4日 関税局長1969年8月6日 退官。

同年11月 日本長期信用銀行常務取締役

略歴

その他

  • 主計局にも数年間、在籍していたが、キャリア後半はもっぱら関税局税関の畑となった[5]。また、為替局(後の国際金融局→国際局)のキャリアもあり、国際派とされていた[6]
  • 「税をとるための関税ではいけない。日本経済を強くし、国民生活の水準を高めるための関税でなければ」という持論を掲げている[6]

脚注

  1. ^ a b c d 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年1月発行、173頁
  2. ^ a b 『官界通信:政策評価・人事政策等行政・人事情報紙 第735号』官界通信社、1965年7月発行、8頁
  3. ^ 『全国銀行職員録(1955年版)』大蔵財務協会、1955年7月発行、661頁
  4. ^ 『官界通信:政策評価・人事政策等行政・人事情報紙 第792号』官界通信社、1966年8月発行、6頁
  5. ^ 『金融財政事情 第16巻 第27号』金融財政事情研究会、1965年6月発行
  6. ^ a b 『政経人 第16巻 第1号』政経社、1969年1月発行



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