武藤規夫とは? わかりやすく解説

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武藤規夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 10:13 UTC 版)

武藤 規夫(むとう のりお、1964年10月19日 - )は、日本の元ラグビー選手、現在は指導者(NPO法人SCIXラグビークラブのコーチ)。

プロフィール

来歴

延岡工業高校入学時は野球部に入るつもりだったが野球部がなく、兄がしていたこともラグビー部に入部する。 高校時代花園経験はなかったが、3年時に高校日本代表に選ばれる。同時のラグビー高校日本代表には明治大OBの高橋善幸大西一平らが名を連ねる。高校日本代表合宿にて無名高校出身でありながら、次々と代表候補選手をタックルで倒していたので最初にレギュラーとして抜擢された。高校日本代表のプレーをみていた当時の同志社大学ラグビー部岡仁詩部長(当時)の誘いもあり、卒業後は同志社大学へ入学する。

大学入学時、上級生には大八木淳史平尾誠二らスター揃いの中にあっても1年生ながらレギュラーとして活躍し、大学ラグビー3連覇に貢献する

大学卒業後はワールドラグビー部に入るつもりであったが、先輩の大八木淳史らの勧めもあり神戸製鋼ラグビー部へ入社となる。入社後の1年目は怪我で出場できなかったが2年目以降は不動のフランカーとして神戸製鋼ラグビー部V7黄金期を支えた。

現役引退後はNPO法人SCIXラグビー部のコーチとして後進育成を行っている。

プレースタイル

  • プレースタイルは比較的地味だが、決して抜かれない強固なディフェンスと底を突きない運動量は「ボールのあるところに武藤あり」といわれる所以である。(参考)SCIX RUGBY CLUB HP
  • サイドアタックを得意とし、密集時におけるステップの切り方が独特だったため、相手からは「タックルしにくい選手」という評価を受けた。
  • 社会人になってから、代表チームとは無縁だったが、一部のファンからは、疑問が上がっていた。

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