武藤一彦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 武藤一彦の意味・解説 

武藤一彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/19 03:39 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

武藤 一彦(むとう かずひこ、1881年明治14年)1月18日 - 1968年昭和43年)2月2日[1])は、日本の陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍中将大分市長

経歴

大分県速見郡日出村で生まれる[2]1901年11月22日、陸軍士官学校(13期)を卒業し、1902年6月23日、陸軍騎兵少尉に任官し騎兵第12連隊附となる[2][3]日露戦争に出征[2]陸軍大学校(25期)で学び、1913年11月26日に卒業した[4]

以後、陸軍省軍務局課員、関東都督府陸軍部附、臨時満州里兵站司令官、関東兵站参謀関東軍参謀、騎兵第16連隊長、第10師団参謀長などを歴任[2][3]1929年8月1日、陸軍少将に進み騎兵第4旅団長に就任[1][2][3]第12師団司令部附を経て、1932年8月8日、軍馬補充部本部長に転任[1][2][3]1933年8月1日、陸軍中将に進み、1934年8月1日に待命、同月30日予備役編入となる[1][2][3]1937年7月、留守第6師団長に就任し、1939年3月9日に召集解除となる[1][2][3]

1944年6月24日、大分市長に就任[5]1945年3月31日に市長を退任し[5]、同日、大分地区司令官として召集され終戦を迎えた[1][3]。その後、公職追放となった[6]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』713頁。
  2. ^ a b c d e f g h 「武藤一彦大分県大分市長ニ任スルノ件」
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』175、177-178頁。
  4. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、561-562頁。
  5. ^ a b 『日本の歴代市長』第3巻、599頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年、84頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。
  • 内閣「武藤一彦大分県大分市長ニ任スルノ件」昭和19年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-021-00・任B03742100





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「武藤一彦」の関連用語

武藤一彦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



武藤一彦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの武藤一彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS