武将としての評価とは? わかりやすく解説

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武将としての評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:09 UTC 版)

徳川秀忠」の記事における「武将としての評価」の解説

秀忠を『徳川実紀』では次のように評価している。 東照公(家康)の公達あまたおはしましける中に岡崎三郎君(松平信康)はじめ、越前黄門結城秀康)、薩摩中将松平忠吉)等は、おづれも父君神武の御性を稟させられ。御武功雄略おおしく世にいちじるしかりし中に独り台徳院(秀忠)殿には、御幼齢より仁孝恭謙の徳備はらせ給ひ。何事も父君の御庭訓かしこみ守らせられ。御旨に露違はせ給はで。いささかも縦覗の御挙動おはしまさざりき このように、兄の信康や秀康、弟の忠吉などは、武勇知略恵まれた名将評価されている。事実信康武勇優れ、秀康も秀吉その人物を評価され忠吉関ヶ原本戦島津豊久を討つという武功挙げている。それに対して秀忠には、武勇知略での評価乏しく、またその評価ができるような合戦経験していない。ただし、秀忠2代将軍だったため、後半部分で秀忠温厚な人物だったと弁護している(「仁孝恭謙」と、儒教倫理上での最高の評価をしている)。しかし、当の徳川家による史書でさえ、秀忠の武将としての評価は低かった。 それでも後継者となったのは、家康秀忠を「守成時代」の主君相応しいと考えていたからだと言われている(家康は唐の太宗治世について記した貞観政要』を読んでおり、貞観政要には「守成創業より難し」という一文存在する)。父の路線律儀守り出来て間もない江戸幕府基盤強固にすることを期待されたのであり、結果として秀忠もそれによく応えたと言える

※この「武将としての評価」の解説は、「徳川秀忠」の解説の一部です。
「武将としての評価」を含む「徳川秀忠」の記事については、「徳川秀忠」の概要を参照ください。

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