武信稲荷神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/31 01:12 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動武信稲荷神社 | |
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![]() 境内正面 | |
所在地 | 京都府京都市中京区三条通大宮西入る |
位置 |
北緯35度0分27.2秒 東経135度44分47.2秒座標: 北緯35度0分27.2秒 東経135度44分47.2秒 |
主祭神 |
宇迦之御魂大神 佐田彦大神 大宮能売大神 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 859年(貞観元年) |
例祭 | 5月第2日曜日 |
地図 |
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武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)は、京都府京都市中京区にある神社。旧社格は村社。必勝、命名、名付けに利益があるとされる。
祭神
歴史
859年(貞観元年)2月、藤原良相によって創建された。当時、境内北側一帯には藤原氏の学問所である勧学院と西側一帯に療養施設である延命院があり、神社はその守護社として祀られた[1]。後に時代が下ると藤原武信という人物が当社を厚く信仰したため武信稲荷と呼ばれるようになった。寛永年間に青山播磨守の藩邸になる。元禄年間に現在地で祭祀。明治6年(1877年)に村社となる[2][3]。大正11年(1922年)10月9日神苑地の改修願。玉垣を新造する際にその内側に「神苑」を整備した[4]。2011年に境内の改修がおこなわれた。
行事
- 1月1日 - 歳旦祭
- 1月15日 - どんと焼き
- 2月3日 - 節分祭
- 2月最初の午の日 - 初午祭
- 5月第2日曜日 - 例祭(さつき祭り)
- 5月8日 - 芸能祭[5]
- 8月最終日曜日 - 子供みこし巡行
- 11月第2日曜日 - 御火焚祭
境内
境内外社
本殿のほかに以下の末社がある[6]。
- 宮姫社
- 常吉明神
- 白清社
- 七石社
- 太郎松社
- 大黒社
- 金毘羅
- 天満
境内の榎
境内には平重盛が厳島神社から移植したと伝えられる榎の大木があり、樹齢850年以上の大樹として京都市天然記念物にも指定されている[1]。幕末には神社の目の前に六角獄舎があり、多くの勤王志士捕らえられていた。後に坂本龍馬の妻となるおりょうは、安政の大獄で六角獄舎に捕らえられた父・楢崎将作の安否を見るべく龍馬と共に木に登って探っていたとされる[7]。また、幕府に追われていた龍馬は、おりょうに京都にいることを示すべく木に「龍」と彫って伝言を書き残し、その伝言がもとで二人は再会できたという[8]。龍馬とおりょうの仲を取り持ったとして「縁の木」といわれる[9]。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
- 阪急京都本線 大宮駅より徒歩(約650m)。
- 京福電気鉄道嵐山本線 四条大宮駅より徒歩(約600m)。
- 山陰本線 二条駅より徒歩(約800m)。
- 京都市営地下鉄東西線 二条城前駅より徒歩(約900m)。
参考文献
- 仲尾宗泰『神主ライフ! : 神様に好かれる秘訣、教えます』徳間書店、2010年12月。ISBN 9784198630843。
脚注
出典
- ^ a b 武信稲荷神社 - ちょっと言いたくなる 京都通 ‐ 宇治茶 伊藤久右衛門2018年8月7日 閲覧
- ^ 『新修 京都叢書 第二十巻』臨川書店内 新修京都叢書刊行会、1970年5月12日、p.59。ISBN 4-653-02616-5。
- ^ 『京都大事典』納屋嘉治、1984年11月12日、p.598。ISBN 4-473-00885-1。
- ^ 「近代京都における「神苑」の創出 : 京都の都市環境と緑地に関する研究」『日本建築学会計画系論文集』第62巻第493号。
- ^ 田中緑紅『緑紅叢書 復刻版 第1回配本(全26冊)若葉の京都(緑紅叢書2の1(13))』株式会社 三人社、2018年10月31日、p.36。ISBN 978-4-908976-85-8。
- ^ 竹村俊則『昭和京都名所図会 5洛中』大淵馨、1984年11月5日、p.293。ISBN 4-397-50131-9。
- ^ (163)武信稲荷神社のエノキ(京都市中京区) ‐ 京都新聞2018年8月7日 閲覧
- ^ 仲尾宗泰 2010, p. 239.
- ^ 『京都を愉しむ』ぴあ株式会社 関西支社、2013年3月15日、p.63。ISBN 978-4-8356-1829-6。
外部リンク
- 武信稲荷神社(公式サイト)
- 神社のススメ 神主のひとりごと(宮司のブログ)
- 武信稲荷神社 (@takenobuinari) - Twitter
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- 武信稲荷神社のページへのリンク