歌唱と演奏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:18 UTC 版)
歌声は、独り言や呟き・囁きのような声から、感情剥き出しの切り張った声まで振り幅が大きい。村尾 (2020, p. 2) によるとそこに込められた感情は、直感的で剥き出しで特定の感情に限定されない様々なものが、濁りなく澄み渡ったかたちで混ざりあったものである。また村尾は、グラマラスであり音楽によって開放されているようなカネコの表情や身のこなしにリスナーは惹かれるのであろうと推測している。そのほか歌声については、滝沢 (2017) が少年のような、金子厚武 (2018) がどこかアンニュイで、強い存在感を放つ、西澤 (2018) が朴訥としながらも芯のあると評している。白崎 (2016) は舌足らずで甘えるような声と表現しており、滑舌の悪さが指摘された際にはカネコ本人もそのことを認めている。 ライブは、バンド編成・弾き語りの双方で行っており、バンド編成で発表したアルバムの弾き語り版を別途発表することもある。バンド編成での演奏については、カントリー、サイケ、ロックンロール、フォーク、ソウルなどの要素が含まれたアーシーでインディー・ロック的なサウンドであり、歌の添え物としての単なるサポート・バンドにとどまらず、カネコ自身も加えた4人編成のバンドとして成立していると評される。また西澤 (2017b) は、喉を全開で歌っている点が弾き語りとは異なり、緩急の妙が特徴で、会場の空気がカネコに服従しているかのようであると表現する。カネコ本人は、本秀康による漫画とイラストレーションの違いについての発言を引き、バンド編成においてはとにかく楽しくやるという空気感が重要であるのに対し、弾き語りでは歌詞を一つひとつ読み上げるような気持ちで丁寧に歌っていると述べている。 ライブにおいては基本的にMCを挟むことはなく、そのことにより集中力が高まりライブのクオリティが上がるのだと2018年当時のマネージャーは証言している。山元 (2020, p. 3) は、MCを省いた研ぎ澄ますようなライブ・スタイルは2018年2月のライブを境に確立されたものであるとし、カネコと観客一人一人との間の音楽を通じたコミュニケーションの濃密においてMCは確かに無粋であろうと述べている。
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