機体の完成から発射まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 08:24 UTC 版)
「スカイラブ計画」の記事における「機体の完成から発射まで」の解説
1969年8月8日、マクドネル・ダグラス社は現存していた2機のS-IVBを軌道実験室の仕様に改造する業務の契約を獲得した。1970年1月、S-IV実験機の1機が実物大模型製作のためマクドネル社に搬送された。同年2月、軌道実験室はNASAの公募で改めて「スカイラブ」と命名された:115。実際に打ち上げられた機体は、AS-212ロケットの上段 (S-IVB212) で使用される予定のものだった。スカイラブに搭載されたコンピューターはIBM製のSystem/4Pi TC-1と呼ばれるもので、スペースシャトルに搭載されたAP-101と同系統のものだった。サターン5は元々はアポロ計画のために作られたものだが、アポロ18、19、20号がキャンセルされたことでスカイラブの打ち上げという新たな目標が設定され、再設計が施された。なお上段部分は取り除かれたが、ロケットの誘導装置は本来の場所にそのまま置かれた。 1973年5月14日、スカイラブは改造されたサターン5によって打ち上げられた。この発射が、通常スカイラブ1号 (SL-1) と呼ばれるものである。発射から軌道到達に至るまでの過程では、深刻なトラブルが発生した。機体を微小隕石や太陽光から保護するためのシールドが空気抵抗で脱落し、二つあった太陽電池板の一つがもぎ取られたのである。残ったもう一つの太陽電池板には脱落したシールドの破片がからみつき、展開できなくなった。その結果ステーションは深刻な電力不足に陥り、問題は複雑化した:253–255。 スカイラブの発射の後、ケネディ宇宙センター第39発射施設のA発射台は閉鎖され、1979年3月に予定されていたスペースシャトルの処女飛行に向けて改造作業が行われた。スカイラブの有人飛行は、この後39B発射台から行われることになった。
※この「機体の完成から発射まで」の解説は、「スカイラブ計画」の解説の一部です。
「機体の完成から発射まで」を含む「スカイラブ計画」の記事については、「スカイラブ計画」の概要を参照ください。
- 機体の完成から発射までのページへのリンク