橋の守備隊の投降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:11 UTC 版)
「レマーゲンの戦い」の記事における「橋の守備隊の投降」の解説
ジョー・デリシオ軍曹はドイツ軍の激しい銃撃の中を駆け抜け、ティマーマン中尉らがそれに続いた。ブラトゲ大尉はアメリカ軍を橋の対岸へ撃退するために反撃を開始しようとしたが、アメリカ軍戦車の砲撃がそれを阻止していた。シェラーを探したが、すでにトンネルの奥から逃げ出していた。ティマーマン中尉は、彼らの位置から約160キロ離れたフランクフルト・アム・マインに生まれ、橋を渡った最初のアメリカ人将校であった。それに続いてドーランド軍曹も対岸に到達し、主解体用の部品を破壊した。デリーシオ軍曹は東側の塔でドイツ軍の機関銃兵を制圧した。A/27 AIBの残りの隊員は彼らに続き、東岸を最初に確保した後、モット中尉は第9工兵隊B中隊を率いて橋の上にある多くの解体用爆薬を見つけて排除した。エメット・バローズ中尉率いる小隊はエルペル丘へ登り、狙撃兵を排除した後、砲兵と迫撃砲による集中攻撃を受けた。その後、町へ向かって丘を下り、鉄道トンネルの奥の入り口まで登った。トンネルの中で、ブラトゲは手の空いている者を集めて、オスブルク(de)方面への脱出を図ろうとしたが、アメリカ軍がすでにトンネル両方の入り口を制圧していることに驚いた。アメリカ軍は機関銃を乱射し、手榴弾を投げ込み、少年1人が死亡し、数人の市民が負傷した。彼らはブラトゲに抵抗をやめるように呼びかけると、ブラトゲが自ら白旗を掲げてアメリカ軍に降伏した。残っていた工兵部隊や療養中の兵士も彼らの後に続き、トンネル内で捕らえられたのはフリーゼンハーンとブラトゲの2人だけだった。 モット中尉と彼の2人の軍曹は、橋脚の1つの上に約160kgの不発弾を発見した。彼らは主爆薬に接続するワイヤーを含む鉄パイプの1つが、おそらく砲撃によって切断されていることを発見した。また、TNTの230kgの解体用爆薬が、雷管が故障したときに爆発しなかったことを発見した。ポーランド人の作業員は後に、別の作業員が雷管をいじったと証言した、彼らの主張は検証できなかったという:226。アメリカ軍はその後、ドイツ軍により敷設された爆薬などを集中的に捜索し、橋脚の中の井戸でさら640kgの爆薬が発見された。
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