横山博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/18 04:50 UTC 版)
横山 博(よこやま ひろし、1945年 - )は、ユング派の心理学者・精神科医、甲南大学名誉教授。
石川県生まれ。1970年京都大学医学部卒業、精神医学を専攻。精神病院勤務のかたわらユング心理学を研究。1983年から二回にわたってチューリッヒ・ユング研究所に学び、89年ユング派分析家の資格を取得。病院勤務をつづけながら横山分析心理研究所を開設。1995年甲南大学文学部教授[1]。2011年退任、名誉教授[2]。
著書
共編・編
- 『心理臨床の治療関係』小川捷之共責任編集 金子書房 心理臨床の実際 1998
- 『心理療法 言葉/イメージ/宗教性』編 新曜社 心の危機と臨床の知 2003
- 『心理療法と超越性 神話的時間と宗教性をめぐって』編 人文書院 心の危機と臨床の知 2008
翻訳
- ハロルド・F.サールズ『逆転移 分裂病精神療法論集 3』佐藤健司,馬場一彰,西口芳伯,松本雅彦共訳 みすず書房 1996
- D.ローゼン『うつ病を生き抜くために 夢と描画でたどる魂の癒し』監訳 皆藤章,伊藤俊樹,進藤貴子,金山由美共訳 人文書院 2000
脚注
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横山博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:57 UTC 版)
ユング派の横山博は「『ゲンセンカン主人』と『もっきり屋の少女』-つげ義春の引き裂かれた女性イメージ」と題する論文で『ゲンセンカン主人』を例に挙げ、 つげの赤面恐怖症を統合失調症の前駆症状ないしは近縁領域と捉え、つげが少年期にエリク・H・エリクソンのいう「基本的信頼」の欠如やマイケル・バリントの「基底欠損」にさらされざるを得なかったことでユング的にいう「母親原型」に守られた形での幼児・子供原型を生き切れなかったとみている。これはつげの母が生活に追われ、つげに対し母性を与えるだけの余裕がなく、つげの著作からは兄への愛情は語られるが、母への愛情は語られていないことなどから推測して、満たされなかった母性への強い渇望があり、それが現代人が持つ不安とともに『ねじ式』に描かれることとなったとし、つげは「所定めぬ異邦人(エトランゼ)」なのだという。多くの人が持つ安心感を持つことができる逗留場所である場所や母性がつげには得られなかったことが、彼が近代化に取り残され既視感を伴うような辺鄙な温泉場へ赴くことで地域の共同体からこれまでに渇望しても得られなかった「母なるもの」を体験する。また、『ゲンセンカン主人』のラストシーンの2人のそっくりな男の遭遇は精神病理学的には「ドッペルゲンガー」に酷似しているという見方を示した。自分自身の分身と出会うとき、周囲は嵐になる。内面の不安、恐怖の外部空間への投影がラストシーンだという。
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