横山博とは? わかりやすく解説

横山博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/18 04:50 UTC 版)

横山 博(よこやま ひろし、1945年 - )は、ユング派の心理学者・精神科医、甲南大学名誉教授。




  1. ^ 『心理療法とこころの深層』著者紹介
  2. ^ 甲南大学


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横山博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:57 UTC 版)

つげ義春」の記事における「横山博」の解説

ユング派の横山博は「『ゲンセンカン主人』と『もっきり屋の少女』-つげ義春引き裂かれた女イメージ」と題する論文で『ゲンセンカン主人』を例に挙げ、 つげの赤面恐怖症統合失調症前駆症状ないしは近縁領域捉え、つげが少年期エリク・H・エリクソンのいう「基本的信頼」の欠如マイケル・バリントの「基底欠損」にさらされざるを得なかったことでユング的にいう「母親原型」に守られた形での幼児子供原型生き切れなかったとみている。これはつげの母が生活に追われ、つげに対し母性与えるだけの余裕がなく、つげの著作からは兄への愛情語られるが、母へ愛情語られていないことなどから推測して満たされなかった母性への強い渇望があり、それが現代人が持つ不安とともに『ねじ式』描かれることとなったとし、つげは「所定めぬ異邦人エトランゼ)」なのだという。多くの人が持つ安心感を持つことができる逗留場所である場所や母性がつげには得られなかったことが、彼が近代化取り残され既視感を伴うような辺鄙な温泉場赴くことで地域共同体からこれまでに渇望して得られなかった「母なるもの」を体験するまた、ゲンセンカン主人』のラストシーン2人のそっくりな男の遭遇精神病理学的には「ドッペルゲンガー」に酷似しているという見方示した自分自身分身出会うとき、周囲は嵐になる。内面の不安、恐怖外部空間への投影ラストシーンだという。

※この「横山博」の解説は、「つげ義春」の解説の一部です。
「横山博」を含む「つげ義春」の記事については、「つげ義春」の概要を参照ください。

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