桓齮とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 桓齮の意味・解説 

桓齮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 04:32 UTC 版)

桓騎
プロフィール
出生: 不詳
死去: 紀元前233年
各種表記
繁体字 桓齮
簡体字 桓齮
テンプレートを表示

桓 齮(かん き、? - 紀元前233年?)は、中国戦国時代の武将。秦王政に仕え、秦の天下統一に貢献した。

生涯

秦王政10年(紀元前237年)、将軍になる。

秦王政11年(紀元前236年)、王翦楊端和らとを攻めて、先ずその周辺の9城を取る。桓齮はそこに留まり、王翦が一人で閼与・鄴などを落とす。

秦王政13年(紀元前234年)、趙の平陽武城を攻めて、趙将の扈輒武遂で討ち、趙兵の首を斬ること10万であった。

秦王政14年(紀元前233年)、再び趙を攻めて、平陽と武城を平定した。さらに、赤麗と宜安を攻め、宜安ではその将軍を討ったものの、趙の大将軍李牧肥下の戦いで敗れた。『戦国策』趙策四によれば、この敗戦で李牧に討たれたとされる[1]。一方、『史記』廉頗藺相如列伝では大敗したのち、敗走したと記されている[2]

桓齮・樊於期同一人物説

『史記』においてはその後の経歴は不明であるため、中国の歴史家楊寛は著書『戦国史』で、敗戦の処罰を恐れた桓齮はに亡命し、樊於期と名を改めたという説を唱えた。

脚注

参考文献



このページでは「ウィキペディア」から桓齮を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から桓齮を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から桓齮 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桓齮」の関連用語

桓齮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桓齮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桓齮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS