栄町線開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 08:08 UTC 版)
名古屋市中区のうち、北は名古屋城外堀の一つ南の京町通、南は広小路通、西は堀川、東は久屋大通に囲まれる範囲は、江戸時代初頭に名古屋城城下町が整備されるにあたり「碁盤割」の街並みが形成され、江戸期より城下の中心地として栄えた土地である。このうち碁盤割南端にあたる広小路は、万治3年(1660年)の大火を機に道幅が拡張されたため旧来の堀切筋に代わって「広小路」と呼ばれるようになったとされる。 この広小路のうち江戸時代に拡張されていたのは、西は長者町から東は久屋町までの限られた区間であった。明治時代になると、東海道本線名古屋駅(1889年開設)の開業が決まったことで、広小路通は名古屋駅と市中心部を結ぶ幹線道路へと整備されていく。長者町以西・堀川までの未拡張区間が拡幅され、堀川より駅まで道路が新設されて道路整備が竣工したのは、駅開設2年前の1887年(明治20年)5月のことであった。道路改修と駅開設の結果、広小路通は人の往来が頻繁になり沿道には商店が続々と集まるようになった。 名古屋駅開設から5年経った1894年(明治27年)6月、当時の愛知県会議員らが馬車鉄道敷設の許可を得て愛知馬車鉄道という会社を設立した。この計画は準備段階で路面電車事業へと発展し、1896年(明治29年)6月3日付で電気軌道の敷設特許が下り、会社名も名古屋電気鉄道へ変更された。同社が取得した5本の特許線の一つに当時の笹島町(名古屋駅前)から栄町7丁目へ至る2.213キロメートルを繋ぐ広小路通上の「栄町線」があった。名古屋電気鉄道ではこの栄町線を最初の路線として1897年(明治30年)より工事に着手。翌1898年(明治31年)3月には竣工させた。 そして1898年5月6日、栄町線は営業を開始した。起点の停留場名は笹島、終点の停留場名は県庁前(後の久屋町)といい、途中に柳橋・御園町・七間町の3停留場が置かれた。
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