栄第二(東栄)小学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 17:42 UTC 版)
「大阪市立栄小学校」の記事における「栄第二(東栄)小学校」の解説
児童数の増加により、1922年には栄小学校より分離する形で、南区木津北島町(現在の浪速区浪速東1丁目・もと浪速青少年会館、2014年より栄小学校敷地)に大阪市栄第二尋常小学校(のち東栄(とうえい)国民学校)を設置した。これに伴い従来の栄尋常高等小学校は大阪市栄第一尋常高等小学校へと改称している。 栄第二小学校の所在地付近はもともと西浜町ではなく隣接する木津村であり、大阪市編入後も南区木津北島町と呼ばれていた。 昭和時代初期までの大阪市は学区制を敷いていた。ここでの学区制は「校区・通学区域」の意味とは異なり、市内をいくつかの小学校費用負担区域(学区)に分け、小学校設置・運営に関わる諸費用は大阪市の直営ではなく地域の財産として運営する仕組みのことを指す。現在の浪速区界隈では大阪市編入前の旧町村ごとに学区を設置してそれぞれ学校運営にあたっていた。 木津北島町の児童は、本来は木津学区(旧木津村)の小学校(現在の敷津小学校・大国小学校)へ通学することになっていた。 しかし木津北島町周辺の人口の急増は栄学区(旧西浜町)の膨張による要因が大きいことを背景に、木津学区では同地区在住児童に栄小学校への就学をすすめた。一方で栄学区では、学区外にあたる同地域からの栄小学校への受け入れが困難だった。また地域に貧困層が多く集住していた背景もあり、地域での児童の不就学の状況が目立つようになっていた。 不就学を解消するために1921年に木津北島町を栄学区に編入し、小学校を増設することにした。この編入を象徴するかのように、同年、木津北島町は栄町に改称されている。翌1922年に増設された小学校が栄第二小学校にあたる。
※この「栄第二(東栄)小学校」の解説は、「大阪市立栄小学校」の解説の一部です。
「栄第二(東栄)小学校」を含む「大阪市立栄小学校」の記事については、「大阪市立栄小学校」の概要を参照ください。
- 栄第二小学校のページへのリンク