松巌寺と琴平神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 02:26 UTC 版)
御橋の北東、曲師町に、琴平神社がある。宇都宮市には同名の琴平神社が6社もあり、御橋金毘羅さんと通称して区別している。コンクリート製の鳥居をくぐると境内には、本殿、手水舎、玉垣、灯籠などがあり、本殿右側に境内社の稲荷神社・足尾神社・直陸神がある。祭神は大物主命であり、稲荷神社は倉稲魂命、足尾神社は面足神、直陸神は猿田彦命をそれぞれ祀る。琴平神社の由緒は、松巌寺の境内に祀られた神社であり、廃寺されて以降も神社だけが残ったものである。若山牧水が訪れた1920年(大正9年)には境内に桜があったようであるが現存せず、社殿は繁華街の中に窮屈そうにたたずんでいる。 琴平神社を境内に有していた松巌寺(しょうがんじ)は近世以前から御橋の南岸にあったが、虚無僧の寺であったので、「御橋のそばに虚無僧がいるのは良くない」という理由で池上裏町へ寺院ごと移転した。しかし、1649年(慶安2年)に御橋跡の北側、曲師町の釜川渕へ再移転した。このとき境内に琴平神社が置かれた。松巌寺は、宇都宮藩で不祥事を起こし、秩禄も職も失った浪人を収容する役割を担った。寺に拾われた浪人は虚無僧となり、深編笠(天蓋)を被り尺八を吹きながら町や村をくまなく探索し、その様子を報告した。また寺院そばの釜川に縦横6尺(≒1.8 m)四方、深さ5尺(≒1.5 m)ほどの洞穴を設け、そこに注連縄を張って日々の修行に励んだ。 江戸幕府の隠密であったことから、1868年(明治元年)の神仏分離令により廃寺となり、琴平神社だけが残った。
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