東病院開院(1992年)と中央病院新棟竣工(1998年)
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「国立がん研究センター」の記事における「東病院開院(1992年)と中央病院新棟竣工(1998年)」の解説
1992年に旧国立柏病院と旧国立療養所松戸病院を統合・移転して柏キャンパス(千葉県柏市)に東病院を開設。柏キャンパスにある国立初の緩和ケア病棟は、このときに旧国立療養所松戸病院に開設されていたターミナルケア病棟を発展的に引き継いだものである。翌94年には、柏キャンパスに研究所支所が開設。柏では、主に肺がん、肝がんを中心とする難治がんの診断・治療・研究ならびに終末期がん患者に対する緩和ケアの実施に取り組まれることになった。さらに、1997年には、陽子線治療棟が完成し、世界で二番目となる臨床専用の陽子線治療装置が設置された。 この東病院が「国立病院としては超一流の建物」であったことに触発され、当時のバブル経済下、築地キャンパスの病院についても「世界で最高」の新棟建設が計画された。阿部薫が総長に就任した1994年には、基礎工事も終わっており、外枠の組上げが始まろうとしていた。阿部は設計書を見るや、あまりに非現実的な計画に驚き、「舞い上がった計画をいかに現実に戻すか」に腐心することになった。こうした計画は、病院長が病院建設にほとんど関与できず、厚生労働省から出向した役人を中心とした『運営局』が、民間に比べて破格の建設費用をつぎ込んだためであり(一般に病院の建設コストは一床あたり約3千万円であるのに対して、センターの場合は7〜8千万円に達した)、これらの結果、独法化前の借金は500〜600億に達したとされている。 こうした状況下で、阿部が実施したのは、具体的には、当初の旧棟、新棟のツインタワー構想の撤回、実体の見えない臨床研究棟2フロア新設の廃止、各部の重複設備(トイレ、休憩室など)の共有化などである。結果として、1998年10月に新棟が竣工され、1999年1月より「中央病院」として診療を開始した。新棟では、HCUや計画治療棟、グループ診療制など、当時の診療の弊害をなくすための幾多の方策が実施された。 また、2000年には、厚生労働省が「ミレニアム・ゲノム・プロジェクト」におけるがん研究の中枢として国立がんセンターを指定し、翌2001年に築地の研究所に疾病ゲノムセンターが設置され、がんに関する遺伝子研究の充実が図られている。
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