東病院開院と中央病院新棟竣工とは? わかりやすく解説

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東病院開院(1992年)と中央病院新棟竣工(1998年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 04:24 UTC 版)

国立がん研究センター」の記事における「東病院開院1992年)と中央病院新棟竣工1998年)」の解説

1992年旧国病院旧国療養所松戸病院統合・移転してキャンパス千葉県柏市)に東病院開設キャンパスにある国立初の緩和ケア病棟は、このときに旧国療養所松戸病院開設されていたターミナルケア病棟発展的に引き継いだのである。翌94年には、キャンパス研究所支所開設では、主に肺がん肝がん中心とする難治がんの診断治療研究ならびに終末期がん患者対す緩和ケア実施取り組まれることになった。さらに、1997年には、陽子線治療棟が完成し世界で二番目となる臨床専用陽子線治療装置設置された。 この東病院が「国立病院としては超一流建物であったことに触発され当時バブル経済下、築地キャンパス病院についても「世界で最高」の新棟建設計画された。阿部薫総長就任した1994年には、基礎工事終わっており、外枠組上げ始まろうとしていた。阿部設計書を見るや、あまりに非現実的な計画驚き、「舞い上がった計画をいかに現実に戻すか」に腐心することになったこうした計画は、病院長病院建設にほとんど関与できず、厚生労働省から出向した役人中心とした『運営局』が、民間比べて破格建設費用をつぎ込んだためであり(一般に病院建設コストは一床あたり約3千万円であるのに対してセンター場合7〜8千万円に達した)、これらの結果独法化前の借金500600億に達したとされている。 こうした状況下で、阿部実施したのは、具体的には、当初の旧棟、新棟のツインタワー構想撤回実体見えない臨床研究棟2フロア新設廃止各部重複設備トイレ休憩室など)の共有化などである。結果として1998年10月に新棟が竣工され、1999年1月より「中央病院」として診療開始した。新棟では、HCU計画治療棟、グループ診療制など、当時診療弊害をなくすための幾多方策実施された。 また、2000年には、厚生労働省が「ミレニアム・ゲノム・プロジェクト」におけるがん研究中枢として国立がんセンター指定し、翌2001年築地研究所疾病ゲノムセンターが設置され、がんに関する遺伝子研究充実図られている。

※この「東病院開院(1992年)と中央病院新棟竣工(1998年)」の解説は、「国立がん研究センター」の解説の一部です。
「東病院開院(1992年)と中央病院新棟竣工(1998年)」を含む「国立がん研究センター」の記事については、「国立がん研究センター」の概要を参照ください。

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