東海岸や五大湖に向けた初期の鉄道と舟運
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 03:38 UTC 版)
「ウェストバージニア州の歴史」の記事における「東海岸や五大湖に向けた初期の鉄道と舟運」の解説
バージニア州リッチモンドから州西部をオハイオ川沿いの新しい都市ハンティントンとを結ぶチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道が1872年に開通し、ニューリバー炭田への交通が可能になった。間もなく、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道はリッチモンドから東に、ハンプトン・ローズの大型港で新しい都市のニューポートニューズにある大型石炭桟橋までバージニア半島を下る新線を建設した。そこでは市の建設者コリス・P・ハンティントンが世界でも最大となる造船所、ニュポートニューズ造船船渠会社も設立した。多くの製品の中でもこの造船所はコリアと呼ばれる外洋航行型船舶の建造を初め、他の東部の港(特にニューイングランド)や海外に石炭を運んだ。 1881年、ウィリアム・マホーンが以前経営し、バージニア州南部を横切ってノーフォークまで延びていたアトランティック・ミシシッピ・オハイオ鉄道 (AM&O)をフィラデルフィアに根拠を置く投資家が買収し、その所有者が大規模な土地を所有しているウエストバージニア州に新たな展望が開けた。その鉄道はノーフォーク・アンド・ウェスタン鉄道 (N&W)と改名され、新しい拡張計画を扱うためにロアノークで新しい鉄道都市が開発された。その新社長フレデリック・J・キンボールと小さな集団が馬で旅をして、じかに豊富な瀝青炭層(キンボールの妻が「ポカホンタス」と名付けた)を見た後で、ノーフォーク・アンド・ウェスタンはその西方拡張計画をその地域に向けなおした。間もなく、ノーフォーク・アンド・ウェスタンはその所有するノーフォーク郊外のランバーツポイントにあるハンプトン・ローズの石炭桟橋から石炭の出荷も始めた。1889年、ノーフォーク・ウェスタンの路線沿いにある州の南部で、重要な石炭中心地ブルーフィールドが発見された。ポカホンタス炭田の「首都」としてこの都市は数十年間、州南部の最大都市であり続けた。バージニア州の同名都市ブルーフィールドと姉妹都市の関係にある。 州北部とその他では、古いボルチモア・アンド・オハイオ鉄道 (B&O)と他の路線も石炭の利用機会を捉えるために拡張された。ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道はボルティモアと五大湖の数箇所に石炭桟橋を建設した。その他の石炭運搬路線として、ウェスタン・メリーランド鉄道、サザン鉄道、およびルイビル・ナッシュビル鉄道がある。特に顕著なのが遅れて参入したバージニアン鉄道であり、最新で高度な標準という特別な方法で建設し1909年に完成した。
※この「東海岸や五大湖に向けた初期の鉄道と舟運」の解説は、「ウェストバージニア州の歴史」の解説の一部です。
「東海岸や五大湖に向けた初期の鉄道と舟運」を含む「ウェストバージニア州の歴史」の記事については、「ウェストバージニア州の歴史」の概要を参照ください。
- 東海岸や五大湖に向けた初期の鉄道と舟運のページへのリンク