東洋王座挑戦・獲得とは? わかりやすく解説

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東洋王座挑戦・獲得

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 17:07 UTC 版)

辰巳八郎」の記事における「東洋王座挑戦・獲得」の解説

日本王座1度防衛後の1953年1月4日、ソムデス・ヨントラキットとOBF東洋ウェルター級王座決定戦を争うが判定負け喫した日王座を2度防衛後の同年6月15日、ヨントラキットとの再戦でOBF東洋ウェルター級王座挑戦した判定負け喫し同年6月26日日本ウェルター級日本ミドル級の両王座返上した1954年1月18日共立講堂日本ウェルター級王者横山守判定勝利を収め王座獲得した同年3月22日、トニー・アルデゲールと初代OBF東洋ミドル級王座決定戦争い、6RKO勝利を収めて王座獲得。さらに同年4月19日、アルデゲールとの再戦で同王座初防衛成功した同年7月2日大阪府立体育館行われた横山守との通算5度目対戦判定勝利を収め日本王座初防衛成功した1955年4月20日、ソムデス・ヨントラキットに11RTKO負け喫してOBF王座失った当時26歳ながら90程度経験し、本来の動き見られなくなっていたが、日本ミドル級王座2度防衛後の同年12月3日、ヨントラキットの返上により空位となったOBF東洋ミドル級王座をセーマ・クラスクと争い判定勝利を収めて王座獲得した1956年1月8日大阪府立体育館大貫照雄判定負け喫してOBF、日本の両ミドル級王座失ったが、同年4月9日後楽園ローラースケート場で大貫判定勝利を収めて王座奪回、さらに同年10月3日後楽園球場大貫に6RKO勝利を収めて王座初防衛成功した1957年6月1日、ダウソン・シンガバロップに判定負け喫してOBF王座失った日本王座11度防衛後の1960年10月22日海津文雄の持つOBF東洋ミドル級王座挑戦した判定負け喫した1962年6月3日後楽園ジム行われた日本王座14度目の防衛戦で前溝隆男に10R判定負け喫して6年あまり守った王座失い、この試合最後に現役引退した2002年9月19日午前3時47分、脳梗塞のため東京都品川区病院死去した

※この「東洋王座挑戦・獲得」の解説は、「辰巳八郎」の解説の一部です。
「東洋王座挑戦・獲得」を含む「辰巳八郎」の記事については、「辰巳八郎」の概要を参照ください。

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