東洋機電時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/15 16:10 UTC 版)
1997年、高敞飛行場は東洋機電の所有となり、飛行訓練事業に利用するとして使用が再開された。以降、複数の業者が高敞で訓練事業を展開しようと試み、郡もこれを支援した。しかし飛行場の周辺住民が航空機による騒音を理由に事業に反対、騒音被害に対する補償に加えて家畜の全数買い取りなど過大な要求を受け入れの条件として提示したため、飛行場の本格的な活用には至らなかった。 2006年には所有者の東洋機電が全羅北道や高敞郡と太陽光発電所の建設に向けた覚書を締結、高敞飛行場の用地は発電所に転用されることになった。2006年末には高敞飛行場は使用休止となり、2007年廃止された。休止直前にはCM撮影に盛んに利用されたほか、映画『光州5・18』の撮影にも使用された。
※この「東洋機電時代」の解説は、「高敞飛行場」の解説の一部です。
「東洋機電時代」を含む「高敞飛行場」の記事については、「高敞飛行場」の概要を参照ください。
- 東洋機電時代のページへのリンク