東洋歯車としての出発
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1958年7月11日、埼玉県北足立郡与野町(現在のさいたま市)上落合590番地に東洋歯車株式会社として設立された。資本金5000万円はトヨタ自動車工業が全額出資しており、自動車用ハイポイドギヤ歯切り盤の国産化を目指して設立された子会社である。初代社長は早坂力。同年8月1日に操業を開始し、1960年12月には7,818m2の与野工場が完成した。 従業員数が250人を超えた1961年9月1日には東洋歯車労働組合が結成されている。初代社長の早坂の病没により、1963年7月22日にはトヨタ自動車工業副社長だった大野修司が第2代社長に就任している。1964年1月には自動車用部品生産ラインが完成して初めて自動車部品の生産を開始した。
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