東商業高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 22:43 UTC 版)
「大阪市立東商業高等学校」の記事における「東商業高等学校」の解説
大阪市では終戦後の学制改革で、市立の旧制中等教育学校について、全校を形式的に新制高等学校に移行させるが、戦災被害やその他の事情を考慮して統廃合を適宜進める方針をとった。 これに伴い、旧制東商業学校は1948年の学制改革により新制大阪市立東商業高等学校へと移行した。また旧制浪華女子商業学校は同年、新制の大阪市立浪華商業高等学校に移行した。 1948年、大阪市立東商業高等学校が大阪市立浪華商業高等学校の校舎へ移転し、男子学校と女子学校の2校が同居する形で男女共学を実施した。当時、「大阪市立東浪華商業高等学校」と2校の校名を併称することがあったとされる。その後1950年に、正式に東商業・浪華商業の2校が合併し、合併後の校名は大阪市立東商業高等学校となった。 1973年には都島区東野田・大阪大学工学部の跡地を大阪市が取得し、大阪市立東高等学校と大阪市立東商業高等学校の2校が同地へ移転する構想が持ち上がった。一時は「東高校・東商業高校の2校を統合したうえでの移転」の可能性も取り沙汰されたが、その後1977年に東高等学校のみの単独移転、および東商業高等学校の現地建て替えの方針が確定した。 1979年より元の敷地での校舎建て替えが進められることになり、1979年11月5日付で旧東高等学校校舎(東区北久太郎町1-1)に仮移転した。1982年に新校舎が完成し、同年3月15日に元の敷地に復帰している。新校舎は高層の建物で、学校校舎としては当時日本で2番目の高層校舎だったとされる。 大阪市では1970年代以降市立の高等学校での学校特色化の検討が始まり、1980年代以降には「意欲的で目的意識の明確な生徒の入学により学校が活性化することをねらい」として、府立高校とは異なった形での学校特色化の動きが具体的に進んだ。 商業系高等学校でも特色化の動きが生まれ、東商業高等学校では1993年よりコース制に移行したのち、1997年に3学科体制へと改編された。
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